人間の脳が覚えていく記憶を取捨選択しているように、Obsidianで記録していく記事もまた取捨選択し
なければならないという結論にたどり着いた。
例えば、プログラミングの勉強をするとどんどん技術的負債が溜まっていくというのは有名な話である。これは、自分が勉強した内容が今まで書いていたコードよりも素晴らしい(=保守性が高い、拡張性が高いなど)である場合、今まで自身が書いていたコードがとても汚く感じることがある。
これと同じような現象が、記事を書く時にも存在すると思う。

実際私が大昔に書いたメモ(=ノート)、存在するものを挙げるなら

この時、あまりにもいらないノートが存在していた時、保管庫を汚してしまう、つまり脳のキャパを圧迫するごみが増えていることと同義である。

ノートというのは常に成長し続ければならず、その際に古くなった細胞は切り捨てていく必要がある。
ただし、何も考えずに切り捨てるのでなく、そのノートがまだ成長できるかどうかを吟味する必要がある。
ごみとなったノートも自分の形であったものなのだから。

The Notes must glow.